認知症
2015年1月。
母の症状は日に日に変わっていきました。
12月の後半はひとりで買い物に行けたのですが、帰ってきたとき、カギがないと探し続け、やっと見つけたと思ったら、買ってきたものを外に放置したまま気づかない。
そんなところから始まったので、わたしは、年末の買い物に行くのをやめさせました。
年末の人込みの中で突然立ち止まって何を買うのか忘れた?なんて言われたら、周りにも迷惑だし、買い物はわたしが代わりにすればいいことだしって思って・・・
年末、鏡餅を買ってきてわたしても、飾ることすらしなくなっていました。
「お正月のおかがみさん、飾ってないの?」
って言っても、「そうか」って言うだけで、わかっているのかいないのかわからない様子
1月1日に、突然「買い物に行きたい」と言い出した母
「お正月やから店はどこも開いてないよ」
ってわたしが言ったら、「そうか」って言うだけ。
毎年お正月には、母も呼んでわたしたち家族といっしょにすき焼きを食べるのですが、
こんな母を旦那や子供たちに見せたくないって思い、家には呼ばず、作ったすき焼きを母のところにもっていきました。
今となってはすごく後悔しています。
最後だってわかってたら、会話できなくっても、わたしたち家族といっしょに鍋を囲んであげればよかったなって。
わたしが、買い物に行くときに、「何を買ってきてほしい?」って聞いても、
「あの、あれ、あれ、あの・・・えっと・・・」
昔の母なら、しばらく待ってたら物の名前なと、それに近い言葉などが出てきたのですが、
もうこの頃には、「えっと・・・」って言ったまま、わたしが質問したことすら忘れてしまってるようでした。
そんな、会話が続かない母といっしょにいるのもいやで、母に聞くのもやめて、わたしが勝手に必要なものを買ってきてました。
あれだけ節約主義で、キチッとしてた母の変わりように、情けなくなり、
ついつい母を責めて怒鳴ってしまうわたし。
そんな、優しくなれない自分に腹がたち、母のそばにいる時間をどんどん短くしてしまってました。
夕方4じごろ、母に料理を作ってもっていって、「晩ご飯に食べや」と言ってわたしたら、
すぐに食べだす母。
「晩ごはんやで」と言っても、目の前に食べ物があると、食べずにはいられない様子。
もう、朝ごはん、昼ごはん、晩ごはんという感覚もなくなり、食べ物が目の前にあると食べてしまうようでした。
1月から始まった、週3日のデイサービス、週2日のヘルパーさんに頼って、わたしは、必要最低限しか母のそばにいないようになっていました。
お正月が過ぎたころ、わたしはインフルエンザになりました。
ちょうど母の定期健診の日に重なったのですが、インフルエンザで寝ていたので、しかたなく、ヘルパーさんに付き添いをお願いしました。
そしたら、担当の医師から電話があり、やはり、BNPの数値が悪いとのこと。
12月に、自分で薬を飲めてない日があったから、もしかして?とは思ってたんですが、やっぱりそうでした。
入院したほうがいい数値だけど、手続きの関係で、ヘルパーさんではダメなんだそうで、
とりあえず、わたしのインフルエンザが完治するまでの薬をもらって、母は帰ってきました。
インフルエンザで寝込んでる間、ヘルパーさんに母の世話を手伝ってもらい、わたしは、母のところへは行きませんでした。
そして、わたしのインフルエンザが完治して、母を定期健診につれていきました。
—つづく—
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