父が亡くなってからの母
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最終更新日:2021/02/03
母のこと
父と母は、とても仲のいい夫婦でした。
父は亭主関白で、わたしが子供のころは、男子厨房に入るべからず、という雰囲気でしたが、
定年を過ぎてから、特に、母が心不全をおこしてからは、買い物と掃除は父が、料理は母がというふうに、家事を分担していたようでした。
そして、家庭菜園や小旅行、どこに行くにもふたりでいっしょ。
晩年は、ほんとに仲がいいふたりでした。
そんな父が、2009年に亡くなりました。
すべてを父に依存していた母
父のために生きていた母は、なんだか、体の力が抜け、生きる気力をなくしたようでした。
父のものを処分するとき、母に付き添って、父と母の思い出の場所めぐりをしました。
毎月参拝する神社の帰りに立ち寄る喫茶店。
母に連れられ、入った喫茶店で父がいつも頼んでいたものは、ミックスサンドイッチにブレンドコーヒー
そして、ファーストフードの店なんか行かない昭和初期の人間だと思っていた父が、唯一好んで行っていたのがサブウェイ
昭和の堅物人間だと思ってた父が、以外にモダンボーイだったんだって、母から知らされたものでした。
母も、四十九日までは、毎週お寺さんがこられるので、気を張っていたのでしょう。
四十九日が終わったとたん、母からのSOSが届きました。
「体が動かへん」
大たい骨骨折で、介護認定、要支援1だった母。
わたしは、担当のケアマネージャーに相談しました。
そして、わたしの家の近くのワンルームマンションを借りて、母をそこへ呼び寄せました。
父と暮らしていたとき、そこに住んでいたときは、友達もいたけど、引っ越した先には友達もいません。
なので、要支援1で利用できる範囲で、デイサービスに週2日通うことにしました。
子供が好きで、家庭菜園が好きな母なので、保育所と連動しているデイサービスを選びました。
孫も大きくなって、母のところに寄り付かなくなっていたので、保育所のちいさな子と遊ぶ時間は、母にとって安らぎの時間で、毎回喜んでデイサービスに通っていました。
—-つづく—-
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