*

管理人について

管理人プロフィール

★ハンドルネーム  ねこねこ

★昭和30年代生まれの50歳代

★神戸在住の主婦
家族構成は、旦那、わたし、長男、次男。
現在は旦那、週一で帰ってくる長男の3人暮らしです。
スープの冷めない距離に、義母と実母が住んでいます。

詳しいプロフィール

テレビ、冷蔵庫、洗濯機が三種の神器とよばれたころ、大阪府、高槻市で生まれました。
今は大阪と京都のベッドタウンになっている高槻市ですが、昔は田畑が多く、国道にはロバが走っていたりしました。

■幼少期(生まれてから小学生ごろ)

父、母、わたしの3人家族。一人っ子で、
父は普通のサラリーマン、母はパート勤めをしていて、カギッ子のわたしは、家でひとりでいることが多かったです。
その影響か、ひとりで空想することが多く、いつもノートにマンガやお話を書いている少女でした。

★よく見ていたテレビ番組
しゃぼん玉ホリデー、鉄人28号、鉄腕アトム、おばけのQ太郎、ザ・ヒットパレード
★はじめて好きになったアイドル
ザ・タイガース・・・一番人気のジュリー(沢田研二)より、ドラムのピー(瞳みのる)のほうが好きでした。
歌と踊りが好きで、タイガースのレコードをかけながら踊っていました
★はじめて自分のお小遣いで買ったレコード
銀河のロマンス/ザ・タイガース

■中学時代(小学校高学年~中学生)

小学校6年生のとき、大阪万博がありました。
初めて目にするものが多く、衝撃的な出来事でした。
外国人、コンパニオン、動く歩道、テレビ電話、月の石、3D映像、人型ロボット・・・
家から近かったので、日本中の親戚がみんなやってきて、何度も通い、案内したのが自慢でもありました。
中学時代は体育系の部活をしろという、父親の変なポリシーから、卓球部に所属しましたが、もともと運動オンチのわたしは、すぐに挫折し、その後は帰宅部でした。
引っ込み思案の性格で、相変わらず空想と物語を作るのが大好きな少女で、
中学3年生になり、受験勉強をともにした、おなじくおとなしめの性格の友達とは、今でも仲よくつきあっています。

★よく見ていたテレビ番組
時間ですよ、ありがとう、スター誕生、夜のヒットスタジオ
★好きだった歌
あのすばらしい愛をもう一度、17才、太陽がくれた季節、神田川、心の旅、学生街の喫茶店

■高校時代

受験勉強のすえ、某公立高校に合格。
音楽が好きだったので、合唱部に所属しました。
当時の友達とは、現在も続いています。
高3のとき、まだまだ、女子は学をつけるよりお嫁さんになったほうが幸せだと言われた時代で、就職を考えましたが、普通科の公立高校出身ではなかなか仕事がない時代だったので、「これからは女子も手に職をつける時代だから」と父親を説得し、大学受験をすることに・・・

★よく見ていたテレビ番組
ヤング・おー・おー、パンチDEデート、ラブアタック、俺たちの旅、
★好きだった歌
心の旅、22歳の別れ、卒業写真、なごり雪、いちご白書をもう一度
★好きだったアイドル
高3のとき、突如あらわれた「エジンバラの騎士」ベイシティーローラーズのファンになりました。

■大学時代
ベイシティローラーズが好きだったこともあり、キャンパスで外国人留学生と会話をしている姿に憧れ、外大に進学しました。
大学生活では就職に有利な資格を取得しようと思い、英検2級と英文タイプ検定C級を取得。
2年生の夏、ハワイ大学へ短期留学と、
いままでの人生で一番充実していた時期だと思います。

★よく見ていたテレビ番組
ザ・ベストテン、探偵物語、ザ・トップテン
★好きだった歌
サタデーナイト(ベイシティローラーズ)、Hard Luck Woman (KISS),ホテルカリフォルニア(イーグルス)、ボヘミアンラブソティ(クイーン)このころは洋楽ばかりを聴いていました。

■就職
大学卒業後、大阪伊丹空港の免税品店へ就職しました。
免税品の販売が主な仕事でしたが、展示会への出席、バイヤーとの買い付けなど、いい経験をしました。
2年で退職し、商社へ転職
英文タイピストとして貿易事務、テレックス業務などを行い、
当時、関西では初となるパソコン業務につきました。

■結婚
商社で出会った今の主人と結婚、
東京転勤、
ふたりの男の子を出産、
結婚当初は派遣社員としてGEへ勤めていましたが、後は子育てに専念していたので、仕事からは離れていました
その後、横浜へ、そして、現在、神戸在住です。
★息子たちの子育てをしながら、見ていた番組、「夢がモリモリ」で、SMAPが好きになり、今に至る。
SMAPブログも運営中です。

PR


公開日:
最終更新日:2013/09/04

PR

義母のこと、繰上法要

病院で最期を見届け、義母はきれいにしてもらってから、予定していた葬儀

義母の最期

病院に呼ばれ、説明を受けてから数日後、病院から電話があり、未明になく

義母のこと、緊急入院

義母は、あまりしゃべらなくなり、声を出す回数が減ってきて、喉が狭くな

義母のこと、その後

奇跡の回復をとげた義母は、リハビリを続けました。 しかし、右手

インフィオラータこうべ 2016

パソコンの写真整理のために、過去の画像をアップします インフィ

→もっと見る

PAGE TOP ↑